
一樹:
移植するまでの間、幸ちゃんは「定年を迎えるまでには死んでしまうだろう」という
予測のもとでマイホームも用意してという風に、
自分なりに定年までの命と設定して、
それに向かうまでにやるべきことはやってきたわけで。
ところが、新たな先生に出逢って、余命一年だったけれども、
生きる術はあるよって聞かされた時に、生きる意識が変わったんじゃないですか?
幸ちゃん:
まぁ、何が変わったかというと、
やっぱり死を間近に感じながら生きるってすごく辛いことで、
それで僕は手術をしたあとの7ヶ月はたしかに苦しかったんだけれども、
それよりも苦しかったのが、死を睨みながら生きていたときだったんだよね。
例えば子どもたちの運動会で息子と娘たちが走っている姿を見て、
イメージの世界なんだけど、節穴から子どもの姿を見ているような気がして、
その節穴の周りは真っ暗で、そこから覗いてるような、
ものすごく距離感を感じることがあった。
これは、もうそう長くは見てられないんだなって・・・。
娘の花嫁衣裳は見てやれないだろうなって・・・。
当時、息子は野球をしていて、
娘二人はバスケをしていて、彼らの応援にはすごく嫌がられながらも行って、
大声で応援をして、野球のときなんてハチマキ巻いてハッピ着て太鼓を叩いて(笑)
一樹:
(爆笑)
幸ちゃん:
応援団長を任されたこともあるんだけど、
でも、そのとき僕の気持的には「俺が居なくなっても、
お父さんの声はお前たちの耳に残してやるぞ!」って思ってた。
苦しかったときに、「あぁ、親父はこうしていつも励ましてくれたな」
って思ってもらえるように、何かあったときに心の支えになるかなと思って。
そう思って、必死に応援していた。
もちろん、単なる親バカというのもあるんだよ。
一樹:
死を意識できたことで、今を精一杯生きよう!!
という気持ちの変化があったんですね。
幸ちゃん:
そんな時もあったけど、ただその時期は死への恐怖をいつも感じながら、
追われているように、とにかくやり残しがないように意識していた。
だから苦しいんだよね。
一樹:
そういう時は、自分のモチベーションはどういう風に保っていたんですか?
幸ちゃん:
そうだなぁ・・・。
それはね、死んだ後に皆からなんて言われるかということをイメージしていた。
だから仕事も最後の最後まで頑張っていたつもりなの。
例えば、自分が死んだあとの荷物を女房が取りに来たときに、
「ご主人は最後までしっかり仕事していってくれましたよ」って言われるように、
それが女房にたいして出来る最大のことかと思っていた。
死を意識すればするほど、後を濁さないようにという心境だったね。
だから、死んじゃうからどうでもいいではなくて・・・。
それは、ひょっとすると僕は高校の時から剣道をしていたから、
武士道というものを多少なりとも知っていたからというのもあるかもしれない。
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